写真は、夜間室内に取り入れている寒さに弱いブーゲンビレアです。先日、あるダンス教室に寄ってみました。そこの教室の先生が着ているシャツに「Do Dance」と印字されていました。そこに触発されて、「わたしの盆栽宣言」というのを作りたくなりました。
感銘を受けた "Do Dance" のメッセージ
"Do Dance"。「わたしはダンスをしている」。そのように宣言するような言葉の響きに感銘を受けました。わたしも、"Do Bonsai"。このように盆栽宣言をします。
受け身などではなく、「いま」を主体的に
"Do Bonsai" は、「盆栽をやっている」ということ。受け身の「やらされている」のではない。そして過去形の「やっていた」でもない。「いま」、そして「取り組む」という意味を込めて、"Do Bonsai" なのです。
- 剪定をする
- 草むしりをする
- 鑑賞をする
- 水やりをする
- 盆栽の本で学ぶ
- 盆栽園に足を運ぶ
- ひとの話を聞く
ほかにも、"Do Bonsai" はあります。とにかく盆栽に取り組むことなのです。これは精神的に盆栽に突き進んでいく意志の表明なのです。"Do Bonsai" は、誰かとバーや喫茶店で語るべき対象というよりは、実践すべき対象なのです。
「誰か」や「何か」とを安易に比較しない
そして同時に、これは「わたしの盆栽宣言」なのです。あなた(You)ではない。そして、わたしたち(We)でもない。「わたし(My)」の盆栽宣言(My Declaration of Bonsai)なのです。誰かと自分を安易に比較しない。劣っているとか、優れているとか、そういう「誰か」とか「何か」とかを基準にして比べることはしない。いつでも、「じぶん」を大事にする。
盆栽とは作業だけではなく精神の修養です
突然の「わたしの盆栽宣言」。盆栽とは枝を剪定するだけの作業ではなく、じぶんらしくあるために行う精神の修養(しゅうよう)ではないかと考えています。「わたしの盆栽宣言」は、今後改定することあると思うので、とりあえず、今回はバージョン1.0 として発表しました。