大宮盆栽デイズ - Omiya Bonsai Days -

冗談めかす埼玉のファインマン

盆栽が趣味から信仰に変わっていく予感

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盆栽の作業をしている時、集中しているからか、余計なことを考えなくてすむので、スッキリします。盆栽が趣味というレベルではなく、自身の精神を磨くための「方法や手段」なのではないかと考えたりします。写真はチョウジュバイ(長寿梅)です。ヤゴ(ヒコバエ)や足元の芽を剪定しました。

自問自答するうるさい自分が黙る

盆栽の作業をしている時は、盆栽のことぐらいしか考えていません。「夕飯はどうしようか?」「あの件はどうなったんだろう」「このままの自分で良いのだろうか?」などと、心の中でグルグルめぐる自問自答系の雑念は消えます。普段の生活の中では、じぶんの中のじぶんがうるさい。

盆栽の手入れもある意味セラピー

以前、「園芸療法」という言葉を知りました。その言葉のとおり、園芸を通したセラピーのようです。詳しくはわかりませんが、園芸という作業で癒やされる、なにかがあるのでしょうね。そう考えると、盆栽の手入れも、なにかしらのセラピーになっているのかもしれません。

趣味ではなく信仰になった人の話

むかし読んだ本「旅をする木星野道夫)」に、コロンビアから来た写真家のコメントが紹介されていました。その写真家はロッククライミングをやっており、そのことを「趣味というよりも信仰」という記述がされていたように覚えています。いま思うと、なんだかその「信仰」という言葉に共感できるような気がします。(本文のテキストがありましたので、下に一部引用ペーストします)

「アルドウはすがすがしく、どこか哲学的で、何とも言えぬ可笑しさがありました。旅が始まる前、全員が自己紹介をしたときのアルドウの言葉が心に残っています。『コロンビアの自然を撮っています。皆さん、コロンビアと聞くと、麻薬や犯罪のメッカを思い浮かべるだろうけど、それはちょっと悲しいです……国は、自然保護に力を入れる余裕はないけれど、何とか写真を撮り続けることによってアマゾンの自然や人の暮らしを守ってゆきたい……あ、それからぼくはロッククライミングをやります。垂直の岸壁を登ってゆくのです。うまく説明できませんが、それは趣味ではなくて、自分にとっては信仰に近いものです。どうぞよろしく。』」(p.44~45)
星野道夫「旅をする木」 |本棚 | emix-express.com

盆栽に助けられていることが多い

この文章を書いていて、やはりうまく伝えることができないのですが。いろいろな所で、盆栽に助けてもらっているような出来事があります。また、盆栽のことを考えることで落ち着くことができます。それなので、前述のコロンビア人と同じように、趣味というよりも、信仰という扱い方が適切なのではないかと考え始めているのです。うまくことばにすることができないのですが、またいずれこういうことも書いていきたいと思います。