(!=盆栽)浅草キッドの「笑う背中が揺れている」で落涙する理由
年末に紅白歌合戦を視聴していました。そこでビートたけしが歌う「浅草キッド」をたまたま聴いてしまいました。しばらく時間が経つと涙が止まらない状態になりました。
ストレートに胸を打つ歌詞
部分的には理解できない歌詞もありますが、全体的にストレートに胸を打つ内容の歌詞でした。
歌は「伝わるかどうか」だ
それと、歌というのは、上手とか下手とかではない事にも気づきました。おそらく、歌唱力が高い歌手の森進一が浅草キッドを歌ってもなにも感動しないような気がします。コミュニケーションでもそうなのですが、上手にしゃべるよりも「相手に伝わるか」のほうが重要なのかもしれません。
夢敗れた相方のアパートで
浅草キッドの歌詞で、夢が敗(やぶ)れた「相方」のアパートを訪ねる部分があります。そこで酒を飲み交わし、話をする様子が描写されています。むかしの話をしたところ、相方は「そんな時代もあったね」と背中を揺らしながら笑っているのです。
ひとりたずねた アパートで
グラスかたむけ なつかしむ
そんな時代も あったねと
笑う背中が ゆれている
(浅草キッド, ビートたけし, 1994)
なぜ「揺れてる」としたか
この「笑う背中が揺れている」という部分が気になり続けました。どうして「揺れている」と表現したのだろう。さまざまな思いが巡りました。
いっそ、夢を殺して諦める
揺れているのは、夢が敗れたことに対して「おどけて」笑ってやり過ごしているのを表現しているかもしれません。ですが、じつはどうしても(夢を)諦めきれない。それだけれども、夢を見続けることで生活はできない。だから、もういっそ夢を殺すことにしたから、なんだか体を揺らすほど乾いた笑いになったのではないだろうか。
笑う姿から状況を読み取る
その体を揺らすように笑う態度からたけしは「(相方が)夢を殺した」ことに気づき、「夢はすてたと 言わないで」と歌ったのではないかと思うのです(とはいえ、夢を持ち続けるのも地獄であるのもほぼ事実なので、どうしようもない哀しさがあります。)